時事談話 助川通泰(宇都宮二荒山神社宮司)

助川通泰(宇都宮二荒山神社宮司) ×旭野一郎

旭野:1番目の”時事”。世間の話題をと言うことで裁判員制度についてお聞かせ下さい。
助川:例えば学生でね、法学部などを出られた方はある程度はわかるでしょうけれど。実際には、裁判所で裁判官と一緒にとなると大変難しい用語が羅列しています。
とにかく裁判官というのは、しゃべった活字そのものの意味を全て理解してから発言しないと駄目ということになっていますからね。その点が素人さん・・・我々にとっては難しい問題になるんじゃないかなと思います。
それから裁判の中でも少し厳しい刑法に引っかかる事件になりますと、なかなか判断は難しいと思います。
旭野:重大な犯罪の場合は難しいですよね。
助川:そう思いますね。
旭野:今度この制度が出来たので、冤罪的な裁判は無くなるかどうかですよね。
助川:本当ですね。その辺は我々には想像がつかないんですけれど。
旭野:裁判員制度というのはあまりにも知名度は高いのですが、中身がぜんぜんわからない。

裁判員制度の中身…

宇都宮二荒山神社宮司 助川通泰

助川:もう少し説明をしてくれれば良いんですけれどね。
6人居るから・・・裁判官と9人ですか、その構成員でいろいろ黒白つけろと。刑法の量を数値で測るんだ、ということのようですけれどね。
旭野:私もあちらこちらで大勢の人に合うんですが、誰も知らないというんですよ中身を。
助川:(裁判員制度は)外国から広まってきたもので、他がやっているから日本もやろうという真似事なんです。その点は実際日本で定着するかどうかですね。しかもアメリカですか、一応止めようという話も出ていた事ですよね。
そういう問題を考えると、あえてここでやらなければならないのかなと。我々もまた良く理解していけば「ごもっとも」になるんでしょうけれど。今のところはそういう気持ちしかないですね。
旭野:そうなりますと、どこかの誰かにメリットがあるんでしょうね。
助川:開かれた裁判という意味では、メリットはあるんでしょう。
旭野:裁判官が足らないので集めてしまえば俺たちが楽になる(笑)、というような悪い考えもあるようですが。
助川:足らないからなのか、日本の国は裁判の判決までの期間が長いですよね。
本当に長い資料を全部読破してから、ちょっと進めて。また何か出てくると、また1ヶ月2ヶ月置いてそれで裁判というような形があるわけですから。どうしても期間が長くなる。
旭野:裁判期間が長い。日にちを長く要する。それを何とかしようと言う事もあるんでしょうね。
助川:それも含まれているようですね。
ですけれど、裁判員に選ばれた方は大変長い時間を縛られる。それが大変でしょう。
来週の何日に来てくれと言うのならば何とか都合を付けられますけれど、その中で選ばれた人が集まって、適任者かどうか。またそれから何日かかかるというんですからね。
その点は大変気の毒だと思います。

父は内務省管轄の神職

宇都宮二荒山神社大鳥居

旭野:2番目の”宮司さんのご紹介”ということで。いかようにご紹介すればよろしいですか?
助川:そうですね。こういう職業は特殊職業でもありますのでね。私などはあくまで先祖代々神職の家系に生まれた一員ということでして。父親も京都へ行って修行して、京都で私を出生している。兄弟5人居っても、5人とも生まれた所・・・出生地が違うんですから。
旭野:そうなんですかっ。(驚)
助川:先祖代々1つのお宮を守っている神主ではなくて、内務省管轄の神職でしたから。公務員的な系列の神主だったんです。
ですからどうしても3年に1回転勤がある。それによって出世もする。というような時代だったんです。
それで京都にいて戦時中いよいよ京都が危ないというので、出身地栃木県の日光へ赴任しました。その関係で私も一緒に来て日光で育っているわけです。
普通のお宮でしたら神社で社務所があってそこで奉仕をします。父親の白衣の姿を見ているわけですが、そういう神職とは違うんですよね。「いってきます」と言って家を出て、神社で白衣に着替えて神職の奉仕をして、夜また背広で帰ってくると。
一般の(神職の)人は、家族一緒にお宮と社務所で同じ生活ですから。もう全ての父親を見ているんですけれど、我々は神社そのものの生活を何も知らない神主の息子ということですね。(笑)

栃木への帰省

代表取締役会長 旭野 一郎

旭野:内務省のお役人だったわけですね。
助川:そうです。
そんなこともあってDNAに入っているのか、移動することは平気ですね。日光育ちで東京で大学を出て、それから箱根神社に勤務するわけです。箱根神社で神職として10年近く奉仕をして、神奈川県の神社庁で職員になった。そこで神奈川県の神社庁務と庁舎を建設する担当だったんです。
それで神社庁舎が完成したときに、両親共に栃木県人ですからね、栃木県へ帰ってこないかという話があって。それじゃということで(昭和)46年頃にこちらに赴任してきたわけです。
旭野:とすると昔は、(二荒山神社は)国で管理していた神社でしたよね。
助川:はい。官幣社(かんぺいしゃ)・国幣社(こくへいしゃ)という。そういう格のついたお宮にずーっと奉仕していた。こちらも国幣中社という待遇を受けたお社ですから。
旭野:そうですね。
助川:私ごとですが、高校2年の学生時代に父親が早く亡くなってしまったものですから、國學院(大学)に入るにもなかなか。父親がいない家の長男ですから、家族をとにかく見なきゃいかんので。
神主を日中やって、夜学(國學院)に通って、神主の最低限の資格を取得したんです。そして2年から昼間の一般学生に転部したわけ。
なんとか生活できる、資格を貰ったから。母親にはあと3年間頑張って上級の資格がとれるまで弟妹を見といてくれと。
旭野:はぁぁ。
助川:いろんな事情はあるんですが、都内の宮司さんが氏子さんからあまり良く思われていなかった。それで國學院の学生で、祭典奉仕の出来る学生を今年の例祭に世話してほしいと言うので選ばれてご奉仕に行ったんです。
旭野:珍しいですね。
助川:はい。前日下見に行きましたら、社殿など全然掃除が行き届いていない。
御殿の中を全部掃除して、白衣も顔も真っ黒で。こりゃ洗うのが大変だと思うくらい汚れながら掃除して、丁度出てきたところを総代さんが見てくれたんだね。「あの学生、今年のは良くやるぞ。是非うちで面倒見ようや」と言うんで。
昼間学校へ行かせてもらい、夜社務所に寝泊り留守番をする生活。今まで下宿していたその下宿代が助かって、毎月3,000円の小遣いまで頂戴して。(笑)
旭野:当時は大きいですよね。
助川:そんな事情で新宿にあるお宮に席を置き、そこでお宮参りがあると学校をちょっと抜けてお宮に帰り、お宮参りをしてそしてまた学校へ行って来ると。
学生神主です。苦労しました。
もっとも当時はみんなやっていましたけれどね。そんな事で、色々やってきた人間です。
旭野:かなり大きな特徴ですね。学生神主。
助川:ですから明治記念館の床掃除のアルバイトもやったし、靖国神社や明治神宮の正月や祭礼のお手伝いも行ったし。そうかと思ったら柿の木坂のお宮に助勤に行って、三島由紀夫さんのところで樽を抜いてくれて。夏祭り奉仕者に振舞い酒を受け飲んだ経験もあります。
旭野:凄いねぇ。
助川:たまには面白いからそんな経歴を物語にすると、自分史が出来そうなんだけれど。書く力があればいくらでも書けるんだけれどね。面白いと思うよ私の人生は。(笑)
旭野:三島由紀夫がコレ(割腹自殺)する前ですね。
助川:そうです。自由が丘にジムを作って教えていた時代。
1年間苦労したが、國學院の助勤学生のなかで神主の資格を持っていた私は非常にプラスになった。待遇のいい助勤学生として扱ってくれたわけ。それで三島さんも「國學院なんだってな」って言って。(笑)
そんなことでこちらへ来まして、神職歴は卒業以来通算52年になるんです。
旭野:長くお付き合いさせて戴いたなかで、学生神主と言うのは始めて聞きました。
助川:珍しいそんな経験もしてきた。
それでもちゃんと学校では、神主の資格だけじゃなくて、中学と高校の教職員の資格まで全部取って卒業してきました。
旭野:人生色々って小泉総理が言っていましたけれど、色々ですね。
助川:面白い経験でした。
旭野:ずいぶん苦労もなさったけれど、世のため人のためにおやりになったわけです。
助川:その点は嫌いじゃない方ですから。一所懸命、じっとしてられなかった人間です。
旭野:と言う事で宮司さんのご紹介でした。


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