時事談話 伊東永峯(多氣山不動尊長老)

近くて遠きは田舎の道、遠くて近きは男女の仲

多氣山不動尊長老 伊東永峯

伊東:あと、川越から加須に抜ける埼玉県を通る途中のことです。少し先にケヤキの木が見えて、暑い日差しだったのでそのケヤキで一休みしようかと、ケヤキだけを見てそれを目指して、歩いたのですが、なかなかたどりつかなかったのです。あとで知ったのですが、「近くて遠きは田舎の道、遠くて近きは男女の仲」ということわざあったのです。人生これだなと教えてもらいました。やはり大きな目標を持たなくてはいけないが、そればかり見ていては疲れてしまいます。その目標に向かった小さな目標をしっかりやることが、大きな目標に到達する第一歩だと思います。

旭野:とても味わい深い教えでございます。
こうして対談をすると、いろいろなことが勉強になりますね。
多氣山不動尊の歴史をお伺いしてもいいですか?

ご本尊馬頭観世音菩薩を祀りました

伊東:ここにお寺が作られたのは、弘仁13年と言われております。今から約1200年前、平安時代の中頃です。お寺の縁起によると、日光を開いた勝道上人の弟子に”尊鎮法師”という方がいました。その方が修行をしていて、この山に白馬の導きによって、霊気を感じて御堂を建てました。そして、ご本尊馬頭観世音菩薩を祀りました。
旭野:なるほど。
伊東:その後、建武2年9月1日に、宇都宮9代城主藤原公綱というお殿様が、氏家勝山城から不動明王を当山の本尊として遷座山しました。そして、不動明王が当山のご本尊にかわって670~680年ぐらいになりますね。前九年後三年の役(陸奥の安倍頼時一族と源頼義、義家父子の間で行われた争乱)で、安部一族を平定するために、源頼家が総大将で下野にくだり、氏家勝山城を最前線として、そこから奥州に出向いたのです。
安部一族を平定させるには12年かかりました。その不動明王を源一族の先祖、源頼光が大江山の鬼を退治するという祈願を込めるために、多田満仲に頼んで作った仏様がありました。それが比叡山の鬼立滝というところに安置してあった不動明王でした。
それをぜひ本尊として頂きたいと申し出て、勝山まで持ってきました。そして、百ヶ日の祈願を込め安部一族を平定することができました。
旭野:簡単には平定できなかったのですね。
旭野:多氣山不動尊の歴史も教えて頂けますか?

多氣山不動尊は”氣”が多い山なのです

代表取締役会長 旭野 一郎

伊東:多氣山不動尊を一口に言えば、読んで字のごとく”氣”が多い山なのですよ。氣というのはエネルギーで、自然がたくさん残っているのです。多氣山不動尊の山の森は、昔のままで何百年も一切手を加えたことがないのです。暖帯植物林の北緑と言って、植物学的にも珍しい植物があるのです。
旭野:それは大きな特徴ですね。
伊東:もうひとつ自慢できることは、宇都宮市内で一番高い所に生活しているということです。宇都宮で一番先に朝日が当たる場所ですよね。
旭野:布教についてですが、お話をお願いします。
伊東:お話を聞きに来てくれる方のために、初詣期間はお護摩を一日6回、元旦は一日10回焚いて、お話をしています。今年はこうですよ、今年はこちらの方角が悪いですよ、ということをお話させて頂いています。”大悲の会”というのもありまして、これは後に残された人たちの集まりで、同じ気持ちの人たちがいるという中で、自分のお話をするのです。それも布教のひとつかと思います。

人の命、物を大切にする気持ちを忘れずに

旭野:最後にこのホームページを見てくれている方々に、何か提言・アドバイスがありましたらお願いします。
伊東:今、仏教、仏の教えが薄らいでいて、これは私たちの責任もあるのかもしれないですけど、人という字は1本の棒では支えられない、2本の棒で支えあって、間を大切にしてはじめて人間なのですね。人の命、物を大切にする気持ちが軽くなってきたと感じます。
そういう意味では、世の中が不安な時代になってきたと思います。
私たちは、持って生まれた命、仏の教えは”命は限りあるもの、限りあるからこそ、今日という日を一生懸命生きていきなさい”ということだと思います。
私がここにいるのも、多くの先祖の方々のおかげです。
私がここにいるのも、奇跡なのです。
みなさまがここにいるのも、奇跡なのです。
そういう自分の命、この世に生まれてきた奇跡なのですから、大切にしなくてはいけないということです。人としてお互いが支え合うことが大切です。
そういう意味で自分自分も大切にして下さい。
旭野:大変わかりやすい提言ありがとうございました。


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