時事談話 伊東永峯(多氣山不動尊長老)

24歳でこの山の住職になりました

多氣山不動尊長老 伊東永峯

旭野:住職さんから長老さんになってからのお話をお聞かせ下さい。
伊東:住職を息子に譲って2年近くになりますが、私も大学を卒業してすぐ24歳でこの山の住職になりました。それは前の住職(父)が亡くなったというのもあって、私が大学を卒業するのを皆様が待っていた状態でした。
息子の住職も今は34歳ですから、私が34歳の時は約10年近く住職をやっていたわけですよ。
旭野:そうですよね。
伊東:お寺の継承というのは、前の住職が亡くなったら譲るというのがずっと慣例になっていたわけです。しかし、住職というのはお寺の代表役員ですから、すぐに住職になるよりは前の住職をよく見て勉強して責任を持てるようになって、運営していって頂けたらいいかなと思います。
今は2人でお寺のことをやっていますけど、お互い助け合いながらやれるという状態なので、早めに責任ある立場になるのもいいと思います。
旭野:住職になるのも資格がいるのですよね?
伊東:そうです。ここは真言宗智山派ですから、大学は大正大学に行きました。宗門の学校として認められて、そこで4年間勉強しているうちにいろいろな修行を行うのです。そうすると、卒業して僧階(お坊さんの位)が頂けます。
僧階は、権律師、律師、権少僧都、少僧都、権中僧都、中僧都、権大僧都、大僧都・・・・・とありまして、一番上が大僧正です。
長老というのは、お坊さんになって30年、年齢が60歳以上という基準を満たしていれば、長老になれます。
私が今長老としてやっていけるのも、お檀家さんや信者さんなど多くの人たちのおかげなので、これからの私の長老としての務めは、感謝の気持ちを持って恩返しをする時期なのだと思います。
旭野:40年間住職をやっていたのですよね?長いようで短かったと思います。
伊東:そうですね。振り返ってみるとあっという間ですね。
旭野:大正大学時代のエピソードをお聞かせ下さい。
伊東:私が入学した時は、お寺を守っていてくれた和尚さんが二人いたのですけど、その方々も自分でお寺を持ったり、結婚したりしてお寺を離れてしまったのですよ。
お寺に残ったのは祖母と母と私の3人になってしまったのです。私は大学2年生の時、東京の宗派の寮にいたのですが、大学3年生の時からは宇都宮から東京まで通いました。
旭野:その時は、新幹線ありました?
伊東:ないのですよ。それなので、学校に行くのに移動時間だけで、片道2時間30分往復5時間かかってしまいました。
旭野:私も昔、小山から銀座に3年間通勤していたのですが、片道2時間かかってしまいました。 伊東:そうですよね。今でこそ、新幹線で1時間くらいで都内に行けてしまいますからね。

高尾山で見習いをしていました

多氣山不動尊

旭野:大学時代はどのような生徒さんでしたか?
伊東:私はどちらかと言うと、真面目なほうでしたね。
私の息子はいろいろやっていて、渓流釣りをしたり、サーフィンをしたり、海に行ったり、山に行ったりして自然からたくさんのことを学んだようです。
旭野:とてもアクティブなのですね。
伊東:私はそういう余裕がなかったです。学校に行ってお寺のこともやって、それだけで精一杯でした。
私は、大学を卒業してもすぐには住職の仕事はできないと思って、1年間見習いをさせてほしいと言ったのですよ。
うちの宗派の大本山が、成田山・川崎大師・高尾山なので、その中で、同じ環境なのが高尾山だったので、見習いで働けるようにお願いして、大学を卒業した3月27日から行きました。山で信者さんとの接待やお付き合いの仕方、実際の現場での体験をしました。
それが私と高尾山との最初のつながりです。

八王子から多氣山不動尊まで歩いて1週間かかりました

代表取締役会長 旭野 一郎

私が八王子から家に帰るときは、当時4時間くらいで帰ってこられたのですよ。そこで、電車ならいつでも帰れると思って、私は多氣山不動尊まで歩いて帰ったのです。
旭野:八王子からここまでは遠いですよね。どのくらいかかったのですか?
伊東:距離は160kmくらいあって、1週間かかりました。
地図を買って道筋を調べて、泊まるところは同級生の家に泊めてもらいました。
でも、それはやってよかったと今でも思います。
みなさん、網代笠をかぶり衣を着て、金剛杖をつく私の姿は珍しいのですね。多くの人の視線を感じ、時にはお婆さんが「ごくろうさま」と言って10円をくれた時もありました。
旭野:そんなことがあったのですか。
伊東:その「ごくろうさま」という言葉が何よりも嬉しかったです。


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