時事談話 金子立(今宮神社宮司)

平成22年に創建950年という大きな節目の年を迎えます

今宮神社宮司 金子立

旭野:日光東照宮にいた時はどうでしたか?
金子:私が奉織をしていた頃は、今の稲葉宮司さんが宮司さんとして正式に就任するちょっと前だったのです。
10年間奉職をさせていただいたのですが、私が辞めるときに世界遺産に認定される時だったのですよ。今宮神社も遷宮(せんぐう)700年という大きな節目があったのもので、辞めさせてもらいたいとお話しましたら、「これから忙しいのだぞ」と言われたりしました(笑)
旭野:次に神社の紹介もお願いいたします。神社の歴史についてお願いいたします。
金子:今宮神社は、平成22年に創建950年という大きな節目の年を迎えます。今宮神社が、神社として建てられてから、950年目の年になるということです。
今から950年前というと、平安時代末期なのですよ。平安時代末期にはじめて、この氏家地方という地を統括したのが勝山城の城主、氏家氏だったのですよ。
氏家氏はもともと、宇都宮城の初代の曾孫にあたる方で、氏家町の名前の由来でもあるのです。
旭野:そこから地名になったわけですね。
金子:そうです。その勝山城主の氏家氏が統括した時代に、宇都宮明神、豊城入彦命 ( とよきいりひこのみこと )と、地元でお祭りをしていた須佐之男命(すさのおのみこと)と大国主命(おおくにぬしのみこと)と事代主命(ことしろぬしのみこと)を合わせて、お祭りをしました。
最初建っていた御社(おやしろ)というのはそこそこ大きい大社だったのですが、それを今から700年前、鎌倉時代末期~平安時代には、さらに氏家氏の領地がすごく広大な土地だったのですよ。24の集落に分かれていて、北は塩原から南は高根沢のほうまで広がっていて、広大な土地だったのです。
そして700年前に、元はここから1km離れたところに御社があったのですが、現在の場所に建てました。さらに大きい境内地を作ったのです。
旭野:そうすると氏家駅のあたりですか?
金子:今の黒須病院のあたりです。
そして、ここの氏家のお殿様は、歴代、武芸が非常に達者であると言われており、鎌倉幕府の正式文書とされる吾妻鏡(あづまのかがみ)に、源頼朝自身が「氏家氏の流鏑馬(やぶさめ)が見たいから、呼んでこい」とお呼びがあって、鎌倉まで行って流鏑馬を披露したと代々伝えられています。

我々神主の役目

今宮神社大公孫樹

旭野:それでは最後に布教と、これを読んでくださっている方々への提言についてお話をお伺いしてもいいですか?
金子:はい。まず一般には布教と言われているのですが、私たちは教化と言っております。
教化の話なのですが、神主の言葉で神様の世界を語ると難しいので、その言葉を噛み砕いてお伝えするのが、我々神主の役目だと思っております。
できるだけ自分が勉強しておかないと、わかりやすい言葉でお伝えできないので、それは気をつけるようにしております。まだまだ勉強不足で、奥が深いのですよ。
旭野:日本語というのは難しいですよね。
金子:はい。神様の世界も難しいのですよ。例えていうなら、大学で優秀な数学の先生が、小学校の1年生に算数を教えるのはすごく難しいのですが、でもそれをできなくてはいけないのですよね。それが数学を理解していることでもあるのです。だから、我々神主もこの難しい世界をわかりやすく、理解してもらえるように、本質を伝えるための努力をするのが教化ということですね。

近くの神社へお参りに行ってください

代表取締役会長 旭野 一郎

旭野:なるほど。ホームページでこのサイトを見てくださっている方に、何か提言、伝えたいことがあったらお願いします。
金子:そうですね、「近くの神社へお参りに行ってください」ということですね。
うちの神社にお参りに来て下さいというよりも、地元の神社へ行って地元の歴史に触れるというのはとても大切なことだと思います。
難しい話になってしまうのですが、孫子(そんし)の兵法(へいほう)に”彼を知り、己(おのれ)を知りて戦えば、百戦(ひゃくせん)して危(あや)うからず”という言葉があるのですけど、戦後、日本人は骨抜きにされてしまったのですよね、敗戦国になってしまって。でも、自国の良さを認識する、要は自分の国に誇りを持つというのは大切です。
だから、自分の家の近くの神社に行って、地元の歴史に触れる機会を持ってもらいたいです。
旭野:はい、私も神社に行く機会を増やして、地元の歴史に触れたいと思います。
お話ありがとうございました。


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