仏教の祖 ブッダの生涯をたどる

 「仏教の開祖は誰?」と聞かれれば、ほとんどの人が「ブッダ」と答えることができるだろう。しかし、彼がどのような生涯をおくり、どのようにして仏教をひらいたかと問われると、答えられる人は少ないのではないだろうか? ここでは仏教の開祖・ブッダの生涯と、彼が生み出した仏教の教えについて考えたいと思う。

 ブッダは紀元前六~五世紀に、現在のネパール南部、インド国境近くのタラーイ盆地にあった「カピラヴァストゥ」という小国を治めるシャカ族の王子、ゴータマ・シッダールタとして誕生した。幼少期は文武に通じ、豊かな生活を送っていたが、同時に、その強い感受性ゆえに思い悩むことも多かったという。

 

 そんな彼に転機が訪れるのが二十九歳の時。宮殿の東西南北にある四つの門で経験したさまざまな出会いが、彼に出家を決意させるのだ。東で老人に、南では病人に、西で死人に出会った彼は、人はみな老い、病にかかり、死にゆくという苦しみを知る。そして、北門の外で身なりは貧しいが満ち足りた顔をしている修行者を見て「出家こそわが道」と思った彼は、豊かな生活に別れを告げるのである。
 修行の旅路でシッダールタは、「煩悩を捨て、ものに執着せず生きること」を薦めるアーラー仙人と「すべての思いを否定し、無念無想の境地を目指すこと」を説くウッダカ仙人という、二人の師と出会う。修行の末に両師の境地に達したシッダールタはこれに飽き足らず、さらなる悟りを目指す。しかし、坐禅や断食を繰り返す苦行の日々を送るが、なかなか悟りはひらけずにいたのだった。

厳しい修行を積むブッダ

厳しい修行を積むブッダ

 そんな時、かれは「琵琶の弦は締め過ぎると切れてしまい、緩め過ぎれば良い音が出ない」という歌を耳にする。その詩に、苦行に励む今の自分と豊かな生活を享受していたかつての自分とを重ね合わせた彼は、極端に走ることがいかに愚かなことかということに気付き、「中道」の大切さを知ることになる。

 

 その後、現在のインド東部にあるブッダガヤーの菩提樹の下で瞑想を続けたシッダールタは、七日目の明け方、ついに悟りをひらき、すべての苦しみから解放される真理を得るのである。こうしてブッダ(悟りをひらいた者)となったシッダールタは、中道の教えを広め、人々を救済するために布教を始めるのだ。

悟りをひらくブッダ

悟りをひらくブッダ

 当時のインドは、先住民を最下層に、その上に庶民階級、続いて王侯貴族階級、最上位に司祭者階級を置く「カースト制度」に基づく「バラモン教」が力を持っていた時代だったが、堕落しきっていた。ブッダの教えはバラモン教に疑問を抱いていた人々に新たな心の拠り所として受け入れられ、教団はバラモン教を飲み込む勢いにせまることとなった。しかし彼は「慈悲」の大切さを説き、バラモン教との共生することを薦めるのである。
 その後四十数年が過ぎ、八十歳を目前に控えたブッダは、自らの死期が近いことを予感する。終焉の地、クシナガラを訪れ、沙羅双樹の根元を寝所にした彼は、その死の直前まで人々の救済に心を砕いたという。
 王子として生まれ、恵まれた生活を送りながらも、悟りをひらくためにもがき続けた彼の姿は、物質的には恵まれながら精神的な安らぎを求め続ける我々、現代人の姿に相通じるところがある。だからこそ、ブッダの教えは二千年以上の時を経てもなお、我々の心を揺さぶり続けているのかもしれない。先行きの分からないこんな世の中だからこそ、我々は今一度、原点に立ち返る必要があるのかもしれない。


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