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時事談話第五回 林慶仁(大慈寺住職)× 旭野一郎

旭野一郎の時事談話
林慶仁(大慈寺住職) × 旭野一郎
2010年2月2日
旭野:本日はよろしくお願いいたします。
お寺様には山門があるのですよね?
山門の中から、世相をご覧になって、最近はどんな感じですか?
『平和を追い求めないということは・・・』
林:今までにない危機感みたいなものを感じますね。
最近特に感じますね、心の中の様子が見えないですよね、漠然としていますが。
旭野:今お話しました世相は、物ではなくて、心の問題、人の問題が我々の世相と思っているのですね。
林:特にうちの歴史の中に関わってくるのは、平和を追い求めないということは、目先のことだけ良ければいいということで、大きい立場から見られなくなってしまった人が多くなっている感じがしますね。
旭野:栃木県内に何百とあるお寺様の中から、一番古いっていうのは文献なんかではあるのですけど、大慈寺は本当に古いお寺ですよね。
林:はい。大慈寺は、奈良時代の末から平安時代の最初にかけて、残っていたという歴史書物がありますからそれで証明できます。
大慈寺は、二回火事があって、無くなってきてしまっているんですけど、瓦屋根が出てきまして、その中に"大慈寺"と書いてある瓦があったのです。その瓦の年代を測定すると、奈良時代のものだとわかっています。
旭野:そこで住職さんが、117代ということで、歴史が長いですよね。
林:そうですね。117という数字に皆さん驚かれるのですけど、歴史的に見ますと天平9年に出来ました。約1270年前ですから、一世代平均10.9年くらいなのですよね。11年ということは、寿命の10年前にやっと住職になれるという形なのですよ。
そうすると、年をとってから住職になる人が多かったのです。次々亡くなってしまって、巡回していくってことは、他のお寺さんを卒業していった人たちが、最後そこに行って住職をしていたのではないかと思うのです。
117代だから、偉いとか古いとかではなく、そういったお寺の特徴があったのではないかと思います。
旭野:住職が、幼少の頃から今日まで、楽しい時代も、悲しい時代もあったでしょうし、いろいろあると思うのですけど、その中で住職さんのお話を聞かせて下さい。
林:私は、父がお寺にいまして、一人っ子だったんですよ。
ですので、小さい頃からお坊さんになるということは、ある程度決められていたわけです。そのかわり、お寺だけでは生活していけないので、他の仕事は何をしてもいいよと言われておりました。だから、たくさんの仕事をしましたね。

時事談話聞き手 旭野 一郎
とちぎお参りネット運営会社
アサヒノ広告株式会社
代表取締役会長
『階段数は以前と比べると2段増えて、108段になりました』
旭野:その中で記憶に残るお仕事はありますか?
林:おもしろかった仕事は、高校の先生をやっていた時ですね。古本屋をしたり、事務員をしたり、他にも、宗教絡みのお仕事もさせていただいていました。
父が倒れたのが平成10年、私の子供が小学校に入学するということもありまして実家に帰ってきました。それから2年、父が亡くなってしまって、それから私がお寺の跡継ぎをしたのです。本当はもう少し外で仕事をして、落ち着いてからお寺に入ろうとしていたんですけどね。
旭野:小泉総理も人生いろいろと言っておりましたからね。
林:人生いろいろですね。
そして、ライフワークってわけではないですけど、"人の話は聞く"と言うものは昔から意識していました。
旭野:大慈寺は山の中にありますよね?
林:山の中です。
旭野:林住職が小学生の時は、山道を通って学校へ行っていたのですか?
林:はい。山や田んぼの中を歩いていました。学校までは10分くらいで行けちゃいましたが、ただ、今は生徒が減ってしまいまして、複式学級になってしまいました。1クラスで2つの学年が一緒になっちゃいましたね。
だからいずれ、合併などになってしまいますと、廃校になっちゃうのではないかと心配です。建物も新しく作ってあるのですが。
旭野:今は廃校を利用して、町おこし・村おこしをやっていて、成功していますよね。
林:今はNPO法人が、近くに田んぼを作っていまして、東京の人たちが稲刈りだとか、田植え、草刈りなどをする目的で、人が集まってきてはいますね。
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